【過去のピースは受け入れなくていい】タロットに聴く人生のヌケミチ「カップの6」25/78
こんばんは。
「人生を変える真のタロットの読み解き方」をお伝えしてます
まゆこ(まゆちん)です。
まゆこ(まゆちん)です。
しばらくぶりの更新です。間が空いてもこのシリーズはちゃんと書き上げたいと思っていますので気長にお付き合いくださいね。
今日は「カップの6」というカードを語ります。カード解説的なオチは一番後に出てきますので、読んで見てくださいね。
さて、先日、これまでの私の占い人生を振り返ってまして、何をしてきたのか棚卸しをしていたのですが、結局は元々私ってのは、
天中殺に転職
をするぐらい「占いを信じていない」という事実を思い出しました。
あ、でも天中殺や、って自覚があったんですよ。
天中殺に転職
をするぐらい「占いを信じていない」という事実を思い出しました。
あ、でも天中殺や、って自覚があったんですよ。
※天中殺=勝負に出るような活動は控えるべきと言われる時期
どれだけアホなんでしょう。結果、その転職後は吉凶混合の山あり、谷ありな十数年を経験させてくれましたが・・・いまこうして元気に生きてます。こうして占いやタロットを語る人として楽しくお仕事させていただいております。
ね、うっかりこの世界に足を踏み入れ19年。今はこんなに嬉々として占いやタロットを語ってますが、元々はアンチ占いだったんですよ。
それにね、不思議なことは好きだったくせに、「占い」というものを盾に誰かの未来や気持ちを無防備に言い放つ占い師、という仕事が心のどこかで受け入れられませんでした。
しかし、なんの因果か・・・(^_^)神秘的な象徴画が描かれた「タロット占い」出会うわけです。
占いってのは基本的には未来を予測するものです。その方法がわかれば、未来を創造する方法だってわかるに違いない!という発想が私の根底には流れていたのだと思います。
病気を発見することができて、治療できないってどないやねん!というのと私にとっては同じ事でした。
そして最初は直感でしたが未来を創造ツール、それががタロットのように思えてしかたありませんでした。
「占いなんて信じない」という感性。普通と言えば普通です。しかし今から思うに妙にこだわっていたところもあったように思うのです。
だからこそ、そんな私が誰よりも「未来を創造すること」にこだわってここまでこれたのかもしれませんね。
有る意味、素直に占いを捉えず「アンチ」な目線からみていたお陰なのでしょうね。
言葉には出したことはありませんが、少し斜め目線で
「へん!占い師になにができるんだよ」
「占いがなんぼのもんじゃい」
って思っていたんでしょうね。
書くのを一瞬ためらいましたが「占いを信じてない私の方が良い占いできるわ!」っていうなんか傲慢ともいえる気持ちがあったようにも思います。(若かりし頃)
余談ですが・・・仮面心理学という分野では私の頭の形は「典型的な負けず嫌い」なのだそうです。でもほら見た目はオットリしていると思われることが多分多いです。(多分ね)
もしかして負けず嫌いすぎて、そういった部分を見せたくなぐらいの負けず嫌いなのかもしれない、ってことらしいのです。でもそういった質を活かすことで自分らしく生きられるのだそう。
だから?なのかどうかわかりませんが・・・うっかり足を踏み入れた占い業界ですが、根底ではそんな「負けるもんか!」な私がいたからこそ、こうして占いを仕事として選び続けているのだと思うのです。
運命というものに対しても多少「負けないぞ!」的な、そういうとこがあったのだとおもいます。今はすっかりゆるみきってますが・・・。
そして、今はどうなったか?というと、今はただタロットがおもしろくなっちゃってオタク化しちゃってます。占い師さんが好きすぎてそのサポートをさせていただいております。
「アンチ」=「気になる!」なんですよ。きっとね。
「だいきらい」は「だいすき」とはよくいったものです。
だからこそ、だからこそ、
なのでしょうね。
なのでしょうね。
今は占い師さんが出来ることって本当に可能性に満ちあふれていると思っています。
占いというツールを通して、扱える悩みや人生のテーマも無限だと思っています。
だって占いとはいえ、心のある「人間」が行うのですから。
はい。そして今日のオチは。
このカード。カップの6です。
カードの下半分は「潜在」を表します。下半分に綺麗に花をかざったカップが置かれています。カップは人の感情をあらわします。つまりこれは過去に飾ってある心=思い出を象徴しているのです。後ろにあるのは自分にとっての故郷の家。黄色く、あたたかく照らし出されています。
「過去」にある感情、つまり懐かしいな~という感情を象徴するカードです。
過去は過ぎ去ったことかもしれません。
良かった過去も、悪かった過去も、辛かった過去も、喜びに溢れた過去も
あったでしょう。
あったでしょう。
でも、大事なのはそれらを「受け入れる」「受け入れない」ではないように思います。強いていえば・・・受け入れなくて良いけど尊重はしてあげたいな・・・。
受け入れようが、受け入れまいが、そういったことに関わらず、あなたが通ってきた全ての過去のピースは人がより自分らしく生きる為のピースとなり得るということを知ることだと思います。
私にとって「アンチ」も「負けず嫌い」も「うっかり」な過去も全て今の自分らしさに繋がっています。
当時はそんな自分が嫌いだったりしたものですが、今では愛おしく思うのです。
お読みいただきましてありがとうございます。
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