【正しさってなんだ?】 タロットに聴く人生のヌケミチ「正義の女神」31/78

おはようございます!タロットを自分の経験や本音に基づいて語るシリーズ31回目です。

さて・・・色々な物事を判断しなきゃいけない時、「正しいか正しくないか?」と、ただやみくもに考えてもただ迷うだけな気がします。

なぜならこの「正しいか、正しくないか?」という基準は、思っているより曖昧なものだし、人によって違うからです。

ですので、

ここで今一度、自分に問いなおした方がいいかもしれませんね。
何にとっての正しさを私は求めているのだろう?」と。
しかし、ここでまた迷路に入るんですよね。
「何にとっての正しさを求めれば良いのか?」って。
誰かにとっての正しさ?
自分にとっての正しさ?」
世間的な正しさ?
歴史的にみた正しさ?

なんなのさって・・・って迷います。

さて、正しさって、なんなのでしょうね。

昔、私が子供の頃、母は良くいってました。
「とにかく、人様に迷惑をかけないようにすることが一番。それが正しいことだ。」と。

学校の懇談会でも「うちは迷惑をかけないようにと言い聞かせています。」みたいに担任の先生に話していた記憶もあります。

うん。まあ、たしかに間違ってはないですよね。
その方が良いような気がするな、と子供心に思っていたのだけど・・・

それから十数年、大人になって一人暮らしをはじめた私、ちょっとした事件に巻き込まれ少し怖い目にあったことがありました。

その影響で、当時一人暮らしのアパートに帰れなくなり、しばらく友人のお母さんのお家や娘さんのお家へ居候したことがありました。

ごはんも、寝るところも、しばらく半年ほど、このご一家にお世話になったわけです。
私専用のマグカップもお箸も用意してくださり「まゆちゃんはウチの長女だよ~」って本当にお世話になったことがあったんです。

そして、そのお世話になった友人のお母様=ママちゃん(とお呼びしてました)は、「ごめんなさい、迷惑掛けて!」と恐縮する私にこういってくれました。
「なにいってんの、まゆちゃん。人は迷惑掛けていいんよ。迷惑掛けるもんなんよ。」
って。
おもしろいのは、「ちっとも迷惑じゃないよ」とは、いわなかったことです。
「人は迷惑をかけるものだ。お互い様だよ」ってことをおっしゃったわけです。
「迷惑をかけることは、間違っていない」ってことだったんですよね。
私ね、もう目から鱗100枚ほど落ちた瞬間でした。
それまでは「人に迷惑をかける」=「間違ったこと」でしたから。
母の言うことも間違ってはない。そしてママちゃんの言うことも私を救ってくれました。
「正しさ」ってなんだろう?って本当に真剣に考えた瞬間でした。
そしてこの時、少し大げさだけどこう思いました。

正しさって、その人の人生そのものから生まれるのかもな、って。

母も、ママちゃんもそれぞれの正しさを持っていたわけです。
では、そのそれぞれの正しさはどこから生まれたか、と考えますと
その人の生き様なんですよね。
きっとママちゃんは人生の中で「迷惑はかけて、かけられて当たり前で良い。」を学んでこられたし、うちの母親は「迷惑を掛けないことが優しさだ」って学んできたんでしょうね。
そのような経験から私はこうおもいます。

「その人の正しさは、その人の人生そのもの」

だから、誰かの正しさを批難することをしなくてもいいし、自分の正しさを誰かと比べて卑下する必要もないんです。
誰かの中の「正しさ」を否定することは、その人の人生を否定することですから。
あなたの「正しさ」を否定することは、あなた自身を否定することですから。
ということは、相手を攻撃したり、むやみに批判するってことが起きるときは、自分自身が自分を認めていないってことになるのではないでしょうか。
そして、尊重のないところに、不要な戦いは始まるかもしれませんね。
しかし、自分とは違う正しさを尊重することは迎合することでもないし、相手に負けることでもないと思います。自分をなくすことでもないと思います。
自分なりの自分だけの正義があるから尊重出来る、ただそれだけのことです。
ただ共生する以上、すり合わせは必要ですが。
だからこそ、それと同時に自分がいつも「正しい」と思っていることを振り返ってみて「それは本当に私の正義なのかな?」と問うことも大事なことだと思うのです。

人はいつも誰よりも自分にとっての正義のミカタでいればいいのです。

誰かの正義を批難する前に、まずはキチンと自分なりの「正しい」を持つことが大事だよ、タロットカードの正義の女神は少し厳しい顔をして私にそう言ってくれているような気がしてなりません。

ワタシ自身普段は「正しい、正しくない」とは余り考えませんが・・・
敢えて・・・

「一人一人が、自分にとっての”正義のミカタ”でいること」は

それはそんなに大げさなことではなく、ただ自分の生きてきた軌跡をそのまま認めてあげることだと思うのです。
そして、私がそうだったように、その正義が人を育てたり、喜ばせたり、救ったり、勇気を与えたりするんじゃないかな、と思うのです。
そして生きづらくなったときは、その「正しさ」を見直せば良い。
「私にとってのこの正しさは今必要だろうか?」って。
「今も人に迷惑をかけることは間違っているのか?」って
「正しさ」というと堅いですがこれ「好き」って置き換えても良いですね。「私がそういう考え方が好き」ってね。
「私は本当にいまこの考えた方が好きなのだろうか?」って。

今日は正義の女神らしく、ぴしっと書いてみました。(つもり)

「正義の女神」の教えてくれる人生のヌケミチ、以上です。
本日もお読みいただきありがとうございました!

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