「自由に読んでみて〜」ってうるさくいう理由。(後編)

こんにちはー

心理タロット研究家のかげした真由子です。

さて今日は昨日の続きです。

タロットは「自由によむ」のが大前提です!

でも

決して、おもちゃのように好き勝手読んで良い・・・
(有る意味、それでも良い気がするけど)

という訳ではないんですよ。

自由に読むからスタートするってのを大前提にしているってことです。

てとこまで書きました。(前編こちら)

とはいえ、何度も言いますが

「自由によむ」ものなんです。

なぜこんなに「自由によむ」ばっかりいうのん?

ってお話しの続きです。

例えばですね・・・

あなたが誰かに、

「明日から自分の思ったとおりに
 思ったタイミングで、
 自由にものを言って、
 自由にものを食べて、
 自由に何処でも行きたいときに
 行きたいところへ行ってください。
 ただし夜明けまで。」

っていわれたらどうする?

・・・ってことと同じ事です。

好きなときに、好きなことを、好きなようにする・・・

これまあ、簡単にいうと「自由に生きる」ってことですよね。

そして、

あなたがもしそういわれたとき

なにが心の中で 起こりますかね・・・

・・・・・

ってのをイメージしていただきたいんです。

「今日は夜明けまで、自由にいきるぜ!」って思って
さあ、どうしていこうか・・・となるかもしれませんね、

で、まあ、人にもよるとは思うのですが、

一応、方向性みたいなモノを自分の中で設けると思うんです。
なにを主体にするか?ということですね。

いくら「自由に」とはいえ、夜明けまでなので、
なるべく効率的に自由を味わいたいですよね。

例えば

「とにかく好きな人に会いに行くぞ!」
「とにかく好きなモノを食べまくるぞ!」
「とにかく色々な人の笑顔をみるぞ!」

かもしれないし、

「とにかく、普段は出来ないけど、あの人に恨み辛みをぶつけてやる!」

かもしれないよね。

もしくは「思いっきり無駄にすごしてやる!」といって

何にも考えない・・・っていう選択肢もアリですね。

これはこれで一つのコンセプト。

そして、どこかへ行こうと思えば
その土地のことを知ろうとおもうかもしれません、

知らずに出かけたとしても、
結果その土地について知ることになります。

適当に人に会いたいので出かけるとします。

その時はその人のことを知りませんが
結果、その人のことを知ってしまいます。

そんなことが起こるんじゃないですかね。。。

一日、寝てすごそうと思ったとしたら、
「夢をみる」という体験をするかもしれませんね。



どんな経験をするにせよ、
なにかを知ろうとしたり、
なにかを形にしようとしたりすると思います。

だって、

にんげんだもの。

なにがいいたいか・・・といいますとね、

自由があると、なんか自分を表現したくなる。

ってことです。

自由があると創造がうまれる。

かな?

まあ、どっちでもいいか・・・。

ってことが言いたかったりします。

いやいやそんなたいしたことじゃアリマセン。

人は真っ白なキャンバスに
なにかを描きたがる生き物だと思うんです。

そういうことです。

そしてタロットも

まったくのゼロ(自由)から、なにかを創造する作業です。

タロットを読むとは、一つの次元を創り出すって作業なんです。

まだ起こっていない現実、
わからない心の中の世界

という異次元を創り出す作業なんですね。

まさに創造活動です。

ですから「自由に読む」っていうことを体感していないと
理論も自由に使いこなせないってことです。

すこし抽象的な話しになってしまいましたが。。。

私が「自由に読む」を大前提にしているのは、
そういった理由があったりします。

そこからで(が)いいんです。

「タロットは自由に読む」という前提の上に、

象徴ってなに?
人物カードってなに?
逆位置ってなに?
スプレッドはどんなんがあるのん?

ていう知識や理論を入れていくとですね、

逆説的なのですが

この理論をうまーく、使えるようになるんですよ。

逆に、

そして、真の意味で「自由に読む」ってことをすっとばしていたり、そうすることにオッケーを出せていないと

このあたりを扱う感覚が良くわかんなくなると思います。


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あ、余談ですが、
昔、大阪の法善寺横町占い師しているときね、
酔っ払いのおっちゃんがよく
私の展開しているタロットを横読みするんすよ、

「あ、これはこうちゃうん!?」みたいな

でね、結構象徴を正しく読んでいるんです、
そのおっちゃん。

その、おっちゃんがまともに
タロットの象徴理解したら
たぶん、もっと精細なリーディングするかもしれんなー
と思いましたよー。

ははは。

<余談終わり。>
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そし
てですね・・・

よく心眼(しんがん)という言葉を耳しますが、

プロアマ問わず、タロットをやり続けている方はその心眼ってのをちゃんと使ってカードを読んでますし、お客様とも向き合ってらっしゃいます。

じゃないと「読み続けること」は不可能です。
探求し続けることもたぶん面白くないと思います。

で、その心眼で読むことを可能にするのは「自由に読む」をオッケーすることにしかないと思うのです。
私の経験に基づく持論ですが・・・。

※心眼・・・心の目によって目に見えない真実を見抜く力のことである。(Wikipediaより)

要は・・・よくいう、

自分の感覚を信じる、
自分を信頼する

ってことなんだけどね。

それって、よくわかんないって方多いんですよね。

なので、とにかく自由に読んで見てぇ~!!!ってなるわけです。
私としては・・・。

カードを感じて読むってこと。
自由に表現するってことなんですね。

「そんなんで読んで良いの?」って心配されますが、

逆に私は、自由に読む感覚を知らずに

「そんなんで読めるの?」って思います。

表現力を磨こうとするとき、
音楽の演奏とかでもそうですけど、
色々知りたくなるんですよー
テクニックとか、色々な楽譜を音にしてみたいとか・・・
色々な要素を学びたくなります。

私は昔、トランペットを演奏していたのですが
自由にバリバリふけるプレイヤーさんがとてもうらやましかったです!

スゴクたくさん練習して、学ばれたのでしょうね。

だから、そういう方・・・
タロットをもっと自分のものにしたい、
自分にとって自由自在なるツールにしたい、そんな方は
自然に学びたくなりますし、カードと仲良くなれます。

繊細さや精密さを磨くために
理論や理屈は学ぶのであって、

それを学ぶから
読めるようになるのとは
ちょっと違うのよ・・

ってことです。

自由に直観バシバシつかってよむ!

を極めるも良し、

象徴の世界を感じたい!
タロットの世界観をグングン知りたくなる人は
豊かな世界観をアタマに入れてよむも良し!です。
そういう方はどんどんうちで学んでくださいな。
私のコンテンツはそっち系なので(どっち系?)

↓こっち系

私はタロットの世界観が好きなのでそこを学び続けます。
創った人の意図を知ることも好きです。
カードの象徴をパスワードのように読み解くのも好きです。
でアウトプットするときは、心の響き渡るように、
心理・カウンセリングという手法を用います。

タロットは癒しだけど、その前にリーダー一人一人の
創造活動だと考えています。

でもどちらにせよ、

「自由に読む」からですよーん。

そこ大前提です。

ね。

あなたはタロットを
「自由に読んで良いよ!」といわれたとき

人生を
「自由に生きて良いよ!」といわれたとき

心になにが起こりますか?



・・・そこから向き合うことがタロットを読むことなんですよー。

ははは。

お読みいただきましてありがとございました!


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