【ゆるめのタロット相談】「ついてると思えない私」
今日は東京からおはようございます。
週末より、JSTA(日本性愛セラピスト協会)の研修サポートで出張中。
そういえばfacebook等をご覧いただいている方はご存じかもしれませんが、この協会の代表田中みっちが先週木曜日、原チャリですっころんでしまいましてひじを骨折しちゃいました。
左腕ギブスだったり、手術したりで週末は休養していたようで、今日合流するんですね。
彼女にとっては今回の事は「ついてねえね」な事故だったかもしれません。
今日のご相談内容にも少し関連しています。
でね、みっちは「ついてねえな」とどこかで思ったか思ってないか?はわかりませんが、そういうことがありながらも
「なんで私、事故したかったんやろう(笑)」といってましたね。
(詳細はこちら)
「原チャリ–要介護☆」
http://ameblo.jp/micchi222/entry-12027156597.html
まあ、出来事ひとつひとつを判断する必要はないのですが、ネガティブな視点ではなくこうやってフラットに
「この出来事は私にとって何?」と思ってみるのはお奨めです。
人間の意識が現実を創り出している、と一応心理学では説明していますが、それだけでもないことだって人生有ると思いますし、それだけのこともあるかもだし。
なのであまり堅く考えずに、うちの代表のように出来事(トラブルともいう)を受け入れ、楽しんでみるのもいいかもしれませんね。
はい、ちょっと今日のご相談内容と同じような悩みを持たれた方にも参考になるかなとおもったのでシェアでした。
では本題に入りましょう。
まずはご相談内容です。
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ニックネーム : みどり
■ご相談内容
私は、他の人よりもいつも損をしているような気がします。縁の下的に頑張っても褒められるのは、表に立って目立つ別の人。同じ悪さをしても、怒られるのは私だけ。
カフェに行けば、私のコーヒーだけなぜか量が少ない(笑)
多分、客観的に見れば、起こっていることは公平で、
私も得していることもあるのでしょう。でも、私にはそうは思えないのが辛いのです。
どうしたら、私はついてる!とか、私はいつも恵まれている、と思えるでしょうか?
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みどりさんご相談内容ありがとございます!
まず、恒例の「前置き」から書いていきましょう。
少し気になったのは書いていただいた
>縁の下的に頑張っても褒められるのは、表に立って目立つ別の人。
の箇所。
>縁の下的に頑張っても褒められるのは、表に立って目立つ別の人。
ちゅうことはですよ・・・?
みどりさんの真の望みは「褒めてもらうこと」だと解釈できますよ。
「縁の下をやる」ではなく「褒めてもらうこと」が出口になっているっていう印象です。
もちろんそれが悪いワケじゃないです。
私だって褒められて伸びるタイプだし!
大事なのは「縁の下になりたい」のか「ほめられたいのか」
どちらが本当の望みかってことかもですよ。
だから「ちゃんと自分に好きなことをやらせてあげてますか?」というメッセージかもしれませんよ。
本当に縁の下が好きな人は「ほめられる」とか「ほめられない」は余り重要ではないとききます。
好きなこと出来ているだけでオッケーだからね。
これ多くの人が陥る所だと思うんです。
「人生不公平だ」と思ってしまうのは、一見すると外側から自分に向けて起こっているようですが、それだけではなく、自分の中にあるものだったりもします。
外側に起こっている事じゃないんですよ。
自分の中に「私は不公平に扱われるべき人間だ」とか「私は公平に扱われていない」っていうデータがあるんですよ。
だとすれば多くの事が「不公平」に見えちゃいます。
それが、みどりさんの辛さの原因のようにもおもいます。
でもまあ個人的には、人間、時には「不公平だ」って思うときがあっても良いだろうよ・・・とも思うのでした。
はい、では、四の五の言わんと1枚引きませう。
問いは「どうしたら、私はついてる!とか、私はいつも恵まれている、と思えるでしょうか?」
で引きました。
結果「法王」でした。
出張先にももっててますミニウエイトタロット↓
つまり、このカードを私がみどりさんの文章を読んで感じたことと対応させて、そのまま解釈するとこんな感じ。
(これを私は真式<しんしき>な解釈とよんでます。勝手にね・・・。)
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みどりさん
「どうしたら、私はついてる!とか、私はいつも恵まれている、と思えるでしょうか?」
タロット
「いやいや、既に公平だし、自分の中をもっと公平にしたらどう?」
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ってね。なんのこっちゃですね。
どーいうことでしょうね。
みどりさんのおっしゃる
「どうしたら、私はついてる!とか、私はいつも恵まれている、と思えるでしょうか?」
これって、この目標自体って何のために設定したか?ってのも大事ですが、普通に考えていつも、「ついてる!」とか「恵まれている!」って思えますかね?(私は思えないです。)
もちろん「私って恵まれるわっ!」と思うことで周囲に感謝の念が湧いてきたり、「ついてる!」と思うことで、「ついてる!」ていう情報だけを探す状態になり、よりそういった状況を引き寄せる、ってこともあるとおもいます。
それを承知の上で思うんですがね…
人生ゆるい、まゆちんとしては・・・「ついている」「めぐまれている」って無理に思わなくてもいいとおもうんですよ。
どっちでもいいんじゃないですかね。
どっちもその時、その時で色々あっていいのでは。
「今日はついてるな!」とおもってもいいし、「今日はついてねーーな!ちぇっ。」とおもってもいいんじゃないですかね。
自由ですよ、自由。
つまり、無理に思うのは違うと思うんです。
「ついてない」って思っているのに「ついている」って思うのって不自然でしょ?
これ許していない人に「許してます!」っていうのと同じ気がします。
実際は、コーヒーが人より少なかったら「ちぇっ!」って思うときもあるだろうし、気分が良かったらコーヒーが少ないことぐらい笑えるかもしれませんし。
どちらでもいいのですよ。
ただ「そこに居続けること」はしんどいので、”どちらにも行き来できる自分”でいることが大事だと思います。
ついてないときがあるから、ついているとき嬉しいのですし、ね。
恵まれない辛さがわかるから、恵まれたときに感謝がわき上がるのですし。
ついているときは思いっきりそれを味わう。調子に乗っちゃうでいいとおもうんです。それも大事。
そして「ついてないなあ」と思うときは、「はぁああーーー」とため息ついてもいいんじゃないでしょうか。
そういった自由に自分に許してあげることが「公平に自分を扱う」ってことかもしれません。
ため息で運気が逃げるんじゃなくて、身体の緊張感が抜ける、って思えばそれはそれでいいのかもしれません。
そんな感じの回答となりましたが、回答になったでしょーか。
何かしらヒントにしていただければ幸いです。
本日もお読みいただきありがとうございました!
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