他人は自分の鏡とは?


「他人は自分の鏡というじゃないですか、てことは、出会った人の嫌な性格は私にもあるって、ことですか?そーいうのを受け入れないとダメなのですか?」
というご質問をよく受けます。
私の考えを書きますね。
例えば、あなたがケチな人と出会って、この人やだなあ、と思ったとしてね、
えーーっと、その人の性格があなたの中にあるというのはちょっと、違います。
厳密に言うと、あなたのアタマやココロの中の嫌いな人リストに
⚫️ケチな人
ってデータがあるだけです。
自分自身がそうだ、ってことではない。
「こだわりデータ」なだけ。
また、
「あーー目の前にケチな人が現れたってことは、そういう人を許さないといけないのでしょうか?そうしないと、自分も変わらないのですね。」
なんて、思わなくて良いです。
⚫️ケチなのはやだなあ~
っていう、こだわりが悪いわけじゃないよね。
ただ、ケチな人に過剰反応している自分に気づいた時、
「あ、私は自分がいつも姉御肌で人におごってばかりいたから、ケチな人が許せなかったんだな。私、おごりたくないのに無理してたかな。」
と、自分がより色んなことから自由なればいいだけでね。
他人に自分のデータを映し出す=投影なんて日常茶飯事だからね。
確かに人は自分が我慢していること(抑圧)を他人に投影しやすいけど、ただそれだけ。
占い師さんにもよくあるのだよ。
「目の前のお客さんの悩みを聞くと自分もザワザワします。」ってやつ。
そんなときも、
「ああ、私の中にこの人と同じデータがあるな。」と思って、なにかのヒントにすればいいだけ。
あなた自身が生き辛いなあ、って思った時に考えればいいだけ。
こだわり、思い込みは自分の個性や世界観を作っているものでもあるからね。

排除しようと、躍起にならんでよろしくてよ。


要はね、
「他人は自分の鏡」とか
「変われるのは自分だけ!」とかを気にし過ぎて、他人を許そうとして、許せなくて、自分にバツをつけるのはやめたほーがーいーよー。って、いいたかったのよん。
笑。
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